バネさんは、俺の髪を触りたがる。
別にそれはいやなことじゃない。
だけど、俺のヘアスタイルのことまでぐだぐだ言われるのが、ちょっとアレなだけだ。
俺は前まで、髪は学校に来てから整えるようにしていた
(じゃないと遅刻してたからだ)。
1回、朝の部室でバネさんに髪を触られた。
バネさんは言った。
「お前の髪、すげぇサラサラ、ふわっとしてて気持ちいいのな」
バネさんは笑っていた。
――俺はそれから、なんとしてでも早く起きて、髪を固めてから学校に行くようになった。
それから、バネさんは俺の髪にさわってない。
今日はすごく暑かった。まだ7月の頭なのにね、とサエさんが言う。
俺はまた1つナイスなジョークを思いついたけど、近くにバネさんが居なかったから言うのをやめた。
別にバネさんの為にジョークを言ってるわけじゃないんだけど、
突っ込みがないという気になれない。
バネさんはどこに行ったんだろう。
水のみ場の方だろうか。
今日は暑いから、日陰でサボっているだろうか。
いや、あの行動派なバネさんのことだから、部活中に昼寝なんてありえない。
――なんか俺、さっきからバネさんのことばっか考えてるな。
まあ、ダブルスの相方だから心配すんのは当たり前か。
とりあえず、バネさんが居ないと練習になんないから、暇つぶしに水を飲みに行くことにした。
バネさんは水を飲んでいた。やっぱり水のみ場に居たんだ。
キラキラと小さく水しぶきがあがっている。
バネさんの黒い髪が蛇口から離れて、どういうわけだか振り返って、俺を見た。
「おー、ダビデじゃん」
ダビデ、と俺のことを呼び始めたのは、他でもないバネさんだ。
中学に入る前から俺はバネさんのことを知っていたが、
バネさんは俺が入部した後すぐに、
俺をみて「ダビデだ」と言った。
思えばあれがバネさんの中で最高のジョークのような気がする。
ただ、俺はあんなに手が大きくもないし、ナニもそんなにアレじゃない。
――バネさんだから、そう呼ばれても許せるだけだ。
「バネさん。何してたの?」
「ああ、ごめんな勝手に抜け出して。今日暑ぃから水飲んでたんだわ。」
すまなそうに笑うバネさんの、少し下がった眉が俺は気に入っている。
だけどなんか長い間それを見てちゃいけない気がして、
俺はバネさんの隣にある蛇口に顔を近づけた。
何だか顔がほてっている。
水を思いっきり出して、顔と頭を思いっきり濡らした。
セットした髪がぐしゃぐしゃになるってこと位わかってたけど、
冷たくて気持ちいいから思わずそのままにしてしまう。
「久しぶりだな、ダビデの髪濡れてんの見るの」
バネさんが近くで喋る。声が耳元で聞こえる。
「水も滴るいい男ってか。なあ、触ってもいい?」
「いいけど、ふわっとしてないよ」
「良いんだよ」
そういって、バネさんは俺の濡れた髪に触る。
右手の指が、ゆっくりと俺の髪の毛に絡む。
「どうして今まで触んなかったの」
「どうして髪固めてんだよ」
バネさんと目があった。ちょっと逆光がかっててよく見えないけど、なんだか真剣だ。
「触ってほしかったのかよ」
「触ってほしくなかったから髪固めてたんだよ」
「固めんなよ」
「何で」
「触りたいから」
半ば予想していた答えが返ってきて、俺はどう答えていいか判らなくなる。
「でも固めないと部活ん時髪すっげボサボサになる」
「んじゃ、俺と一緒の時は固めんなよ」
「バネさんと一緒のときって、だいたい部活しかないって」
「じゃ、付き合ってデートしてるときは髪そのままにしろよ」
一瞬、思考が停止してたと思う。
だってバネさん。今なんていったのアンタ。
付き合う?何それ。
「…バネさん、それって」
「俺、好きだぜ」
お前のことが、と頭の上で声がした。
何されたかは見えなかったけど、多分髪にキスされた。
「なあダビデ。こうゆうのダメ?」
バネさんが自分を指して言う。口元が笑ってる。
勝利を確信してるとき、バネさんはこういう顔をするんだ。
「いいよ」
俺は言ってやった。
「だって、俺にツッコミ返してくれんの、バネさんしか居ないからね」
言って俺は、バネさんの頭にキスじゃなくて頭突きをかました。
「おい、こういう時はとりあえずキスだろダビデ!」
「俺ボケだから判んない」
「そういう時ばっか活用すんなよ」
バネさんが蛇口をひねって、俺の方に水をかけてくる。
俺も負けじと応戦する。
こんなんがずっと続くんだったら、いいんだけどな、と思った。
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